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るたろぐ

暗記地理からの解放。

持続可能なまちづくりってなんなんだよ(2)

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都市のテーマパーク化が止まらない。ポストモダンを信奉し、連続体としての調和を捨て去ったわが国の都市は、資本の論理に任せて身の丈に合わない大型再開発ばかりを志向することで連続体としての「擬似テーマパーク」を創出しようとし、人口減少社会の要請に逆行している。皮肉なことに、そうでもしないと都市の新陳代謝を促せないというジレンマを抱えながら、われわれは持続可能なまちづくりという言い尽くされた月次な命題にしか縋ることができないでいる。

 

現代の思想潮流が急速に変容と拡散を繰り返す中にあって、ハード開発こそが都市の新陳代謝を促す唯一の手段だというパラダイムからは、21世紀を迎えてもなおわれわれは脱却できずにいる。なるほど巷では「コミュニティデザイン」と呼ばれるソフト先行型のまちづくりが賛美されてはいるが、それもコミュニティの主体性を再構築するプロセスに高度な専門的スキルと努力と時間を要するから、根本的なパラダイムシフトには今一歩の押しが足りないままである。要するに、われわれは言葉の上でこそ《ソフト先行型のまちづくりが未来を切り拓く》と雄弁するが、実際にはそれがハード開発への有効的なオルタナティブにはなり得ないことを自ずから自覚しているために、まちづくりに関して「持続可能な」や「草の根の」といった類の空虚な枕詞を冠した理想論を語る以上のものを得られていないのである。

 

多摩ニュータウンからわれわれが学んだことは、開発主義の限界と同時に、都市計画そのものの敗北であるように思われる。われわれが正しいと思って構想した都市の設計思想が、世代を越えては通用しないという事実は多摩ニュータウンが後世に遺した最大の産物であるはずなのである。一方で、冒頭にも示唆した通り、人口減少社会を生きるわれわれは、当然ながら資本の論理に任せた大型再開発にも抗いたいし、抗うべきなのである。だが実際には、都市計画を否定しながら資本の論理に抗うという2つの命題を遂行する力を、もはや市民は持ち合わせていない。このことが問題をさらに難しくしているという事実からも、現実的には目を逸らすことができない。

 

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