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平成の大合併とは何だったのか

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今になってはもう10年も前の話である。私の地元、名古屋の周辺でも「平成の大合併」が進んでいた。「八開村のおじちゃん」は「愛西のおじちゃん」となった。毎秋足を運ぶのが恒例だった「足助の香嵐渓」は「豊田の香嵐渓(?!)」となった。その急速な変容が当時小学校4年か5年かの心を動かし、私はすっかり平成の大合併マニアになってしまったのである。小学校6年当時には合併前のおよそ3200市町村を全暗記していた変態が、私である。さて、「平成の大合併」とは何だったのであろうか。当時でこそその急速な自治体の再編に心を動かされた私であるが、今になってはその功罪について考えることが多くなった。しかしながら、驚くべきことに、amazonで「平成の大合併」でサーチをかけても平成の大合併について検証した新書はほとんど見られない。たびたび地域再生とか過疎問題とかのコンテクストで平成の大合併について触れられている新書は見るのだが、その程度である。平成の大合併から10年が経って、われわれはその検証をすべき時が来ているはずである。今回はそのことについて思う所を書き殴っていく次第である。

 

平成の大合併による「地名の破壊」

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山梨県 地図 :マピオンより)

まず何と言っても地名の問題である。山梨県の地図を見ると、なかなか面白い。甲府市に甲斐市、山梨市に甲州市、それに(山梨の中央にあるから)中央市、とか、北杜市(杜はやまなしの意)とかという具合である。「山梨」「甲斐」という広域地名に関わる自治体名だけで6つもある。もうめちゃくちゃではないか。一般的な了解として、地名がその土地の特徴を体現するものだとすれば、平成の大合併で生まれた山梨県の新地名は目に余るものがある。このように平成の大合併が地域アイデンティティの源泉である地名を破壊したという事実は、もはや否定できない。私の現住地は「西東京市」であるが、ぶっちゃけ西と東が地名の中に混在しているとか意味が分かんない。

 

平成の大合併の大義と実態の矛盾

次に平成の大合併の狙いとその結果そのものについて。小泉政権の三位一体改革の一環として推し進められた平成の大合併の大義には「来る少子高齢化・人口減少社会への対応」とか「地方分権の推進」とかが大々的に掲げられたが、そのホンネの目的は「行財政改革の推進」であったように思われる。この2つの命題は明らかに相対するものであったが、結果としては後者の目的はほとんど達成されず、前者についてはむしろ逆効果を生み出しただけであったように思われる。すなわち、行財政改革という名のもとでの地方における合併推進は、自治体政策の推進主体を失うこととなり、結果的に「来る少子高齢化・人口減少社会への対応」という最重要課題に行政として対処する力が削がれたという話である(このあたりの議論は以前の記事に詳しい)。ここで問題にしたいのは、そもそも行財政改革という都市の論理が地方において必要だったかという点である。たしかに都市においては、公務員の削減や最適配置、公共施設の統廃合などによる行財政の効率化は住民サービスの向上や財政基盤の健全化に一定の効果をみたように思われるが、地方においてはこの通り意図せざる結果を生み出すことになった。少子高齢化・人口減少をかえって助長することになった地方における合併は、財政基盤の健全化を達成するにも至らなかったため、行財政改革という目的もほとんど達成されなかったように思われる。その意味では、地方における合併の効果は本来なら慎重に検討すべきだったと今となっては思われるが、実際のところはアメ(合併特例債)とムチ(地方交付税の削減)に踊らされるまま大した検討もなされず合併が推進されたことが悔やまれる。言ってしまえば合併は手段ではなく目的となっていた。本末転倒が生じていたのである。

 

政令指定都市制度の主旨と運用の解離

政令指定都市についての問題も大きい。2005年の静岡市の政令市移行により政令市は第三世代に入ったとされる。政令市の法令上の指定要件は「政令で指定する人口50万人以上の市」であるが、制度の主旨上、それまでの政令市の運用基準は「おおむね100万人以上の人口」(第一世代=大阪、名古屋、京都、横浜、神戸の五大都市および北九州、札幌、川崎)のち「人口100万以上、または、近い将来人口100万人を超える見込みの80万人以上の人口」(第二世代=福岡、広島、仙台、千葉、さいたま)であった。それが平成の大合併の期間限定措置として「70万人以上の人口」ないし「70万人程度の人口」での政令市移行が可能になったことで、急速に政令市が増加したのである(第三世代=静岡、堺、新潟、浜松、岡山、相模原、熊本)。「70万人以上/程度の人口」という人口要件の達成は周辺市町村の編入を経れば困難ではない。現に静岡や新潟、熊本などは「都市圏の人口」ですら100万程度であるのに、静清合併や周辺市町村の無理な編入によって政令市への移行に踏み切った。政令市が五大都市にのみ適用されるべき特例的な制度であるという本来の主旨と実際の運用が乖離してしまったことが、第三世代のような政令市の誕生という意図せざる結果を生み出した事実は否定できない。このような政令市では広域自治体並の権能を有したことによって行政組織が焼け太りするという「行財政改革」に逆行するような問題も持ち合わせているという。平成の大合併によって生み出された第三世代の政令市が果たして本当に適切な政令市移行だったのかは、議論の余地があるように思われる(以前の記事も参照のこと)。

 

まともに下調べもせずに書き殴っただけなので、論に稚拙な部分があまりに多すぎる気がするが、こうして概観してみると、平成の大合併は多くの問題点を遺したように思われる。この10年での反省をもって、われわれは次の10年に何を活かせるのか、その検討のためにも、平成の大合併についての検証論議をここで喚起すべきであるように思われる。

 

 

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