るたろぐ

暗記地理からの解放。

今更ながら、都知事選を振り返ってみる。

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妙な感傷に浸っていたわけでもなく、単に面倒くさかっただけなのだが(だめじゃん)、ほとぼりの冷めた今日このごろになってようやく都知事選の総括記事を書こうという気になったので、そろそろ書いてみることとする。

 

さて、周知の通りなのかどうかは知らないが、都知事選には関わらないと腹を括っていたはずの私はどこかで道を踏み外したためにいつの間にかOver The Bird選対にどっぷり関わってしまった身なので、この記事は陣営のリアルな空気を交えながら氏の敗因を探ることに主眼が置かれている。全般的な総括でないことには注意されたい。ただ、この総括記事をもって誰々を批判する意図などは私にはさらさらなく、今後の野党共闘陣営のあり方について水を差す性質のものでもないことには留意をお願いしたい。

 

さて、とは言っても私が最初に選対へ顔を出したのは投開票日9日前の7月22日のことである。いろいろ大人の事情があって何があったのかは言えないが、ともあれそれまでは都知事選の裏で行われる都議補選に注力しようと決めていたわけである。実はこの時点で盛大にセンテンススプリング砲が撃たれており、氏の勝利は絶望的な情勢と既に腹を括っていたため、いかに都議補選へその負の影響を残さないかを私なりに考えていたところだった。その矢先の出来事だったため、腰を上げるのは非常に重たい決断だったが、ともあれ微力でも役に立てるならと最終的に決断を下したのは私自身であって、別にどこかから圧力があったとかそんなわけではない。

 

その真偽は置いといて、ぶっちゃけ文春砲の影響は限定的であった。むしろ私が問題にしたいのは、一般的にもよく言われるように、氏の運動量が明らかに他の主要候補と比較しても劣る点であって、これが敗因として一定の割合を占めていることはまず間違いない。それは、少なからず氏自身の体調が尾を引いていたことも事実であり、そのイメージが誇張されて有権者の離反を招いたことも間違いなさそうなのだが(駅頭でビラ配りをしている時、そのような声は少なくなかった)、むしろ選対の指揮系統がバラバラだったことに起因する所が大きいのである。

 

まずテレビで頻繁に取り上げられていた南青山の選対事務所は、もとが蓮舫事務所だったこともあり基本的には民進党を中心とする事務所であった。一方、共産党を中心とする事務所も別の場所に構えられており、形式的にはただ複数の事務所があるだけということになってはいたが、事実上はこの2つの事務所が象徴的なように、選対の指揮系統が複数に分かれて統制が付かず、結局は各党の思惑が交錯する中で、それぞれの政党の幹部を同じ街宣カーに乗せるための調整に躍起となった結果、街宣回数が少なくなり運動量も減ったという話である。この事実はしっかりと直視しなければならない。

 

そこに、勝つための戦略はなかった。私が駅頭に立ってビラを配る中で何度も何度も聞いた言葉がある。それが、否定的なニュアンスでの「共産党だろ?」という言葉。共産党が野党共闘を標榜して穏健路線に転じたとは言え、消極的な民進党の支持層まで含めて幅広い層から共産党が「嫌われている」ことは、残念ながら未だに事実である。たしかに、野党共闘の分かりやすい形は民共の幹部を同じ街宣カーに乗せることであるが、実際のところ個人的に行った出口調査で「候補者を選ぶ基準は何ですか?」と聞いたときに「野党共闘の枠組みだから」などと答える人など所詮1%ぐらいに過ぎなかったわけで、野党共闘をしている口実作りのために民共の幹部どうしを一緒の街宣カーに乗せるなんてことは全く票にならないどころかむしろ逆効果なのである。野党共闘は選挙に勝つための手段に過ぎないのであって目的ではないという自明の理を、バラバラの選対にあって統一的な意思表示として示せなかったことが、ジリジリと票を逃がした大きな原因となっているのではないか。

 

もっとも、これを野党がだらしなかったと結論付けるは少々早計の感がある。そもそも選対の意思決定機関が統一できなかったのは参院選の投開票から4日で都知事選が告示されるという絶妙なスケジュール感の中で時間が無かったことに起因するのであり、それはそんな時期に舛添前知事が辞職に追い込まれたためであり、結局のところ、舛添氏をイジメ倒した都議会・マスコミそして都民の責任はどうなるんだという話である。そんな責任をいち都民としてすべて野党に振り向けるのはどうなのか、ここは改めて都民に問いかけたい点でもある。

 

理想的な選挙のあり方が「序盤で支持基盤を固め→終盤で無党派層を固める」だとすれば、この陣営は真逆のプロセスを踏んでいた。すなわち、「序盤で無党派層を逃し→終盤で支持基盤(特に民進党の支持層)を逃す」という道を歩んだのである。上述の経緯が無党派層を逃したプロセスだとすれば、以下の記述は追い打ちをかけるように支持基盤を逃した経緯である。お馴染みの「内輪もめ」である。

 

皮肉なことに、最初に内輪もめを展開していたのは自民党の方であった。「東京大改革」を謳い「都議会冒頭解散」を掲げて自民党の推薦願を自ら取り下げ仮にも「しがらみのなさ」をアピールして無党派層にウケていた小池氏と、岩手県知事・総務相を歴任し政府お墨付きの地方消滅政策が買われたお陰で自民公明のお抱え選挙を戦うことになった増田氏。2陣営の内輪もめはまるで郵政選挙の小泉劇場を見ているような感覚で無党派層をわし掴み(少なくともそっちに気が向いていたはずだ)にし、この時点で既にワンツーフィニッシュの情勢だった。一方で、である。さまざま紆余曲折がありながらも一応は野党共闘の枠内で一本化に至り本来なら有利な構図であったはずの野党陣営だったが、終盤に至ってのUK陣営支持層との批判の応酬は劇場でもなんでもなく、ただ冷ややかな目線を浴びせられ支持基盤の離反を招くだけの結果となった。

 

双方の陣営には双方の陣営なりの論理があり、基本的な政策的価値観を共有しているとはいえ、時間的な制約を含んだ種々の経緯からお互いに必ずしも良い感情を持っていなかったのは事実である。一方で、現場レベルではそんなことも関係なくひたすら頑張っている名も無き市民がたくさんいたことも事実である。そういう事情を勘案して、私はとにかくグダグダグダグダ言ってないで野党支持者の矜持を見せるべきだとツイッターで発信し続けたが、なかなかそれも叶わなずじまいとなってしまったのが悔やまれる。

 

この時点で陣営の人たちが本気で勝ちに行こうとしていたのか、負けるにしても何票取りに行こうとしていたのか、内心のところは分からないが、私は150~170万票が目標であろうと腹に決めながら駅頭でビラ配りを続けていた。これは民進党支持層の約100万票、共産党支持層の約60万票を合算した数字である。しかしながら結果としてその数字すら下回ってしまった(約135万票)ことは今後の野党共闘を考える上でも大いに分析の必要がある。すなわち、陣営が旧来左翼的な内輪もめに陥る中で、改革志向の小池氏や、(私はまったく評価していないが)行政手腕に定評のある増田氏が、少なくない民進党支持層にとってより親和的に映ったことが、民進党支持層を5割強しか固められなかったという事実に現れているのではないか。この事実は鮮烈である。上述した通り、多くの有権者にとって野党共闘は大した問題ではないのであって、むしろ野党共闘の中で何かしらのほころびが顕在化すれば支持層はいとも簡単に離反する。このことを認識した上で選挙に臨まないと、野党共闘は諸刃の剣だということだ。

 

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