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3.11から7年。東日本大震災以降の人口変化をまとめてみた(その1:宮城県)

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東日本大震災から7年が経ちました。筆者は当時、名古屋に住んでいたので、大きな揺れでこそありませんでしたが、ゆっくりと長く続く揺れに恐怖を感じたのを覚えています。リアルタイムで放映された津波の映像、そして刻々と明らかになる被害の全容に、誰もが無力さを感じたことだと思います。

 

あれから7年の間に、何度か被災地には足を運びました。閖上や山元・亘理の海岸を1人で歩いた時は、ほんとうにいたたまれない気持ちになりました。一方で、仙台に足を運ぶ道中の東北線の車窓に見えていた、私の中で震災の象徴のような存在だった長町の仮設住宅が撤去され、前後して再開発が着実に進んでいくのを確認しながら(被災された方々の複雑な思いは当然あったでしょうが)、確かに復興は進んでいるんだなと勇気づけられることもありました。

 

そんな被災地では震災以降の7年間で、どのような人口変化があったのでしょうか。連載でまとめてみたいと思います。その1は宮城県です。

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震災直後、大幅な転出超過を経験した被災地ですが、宮城県は復興事業の中心となる仙台への復興関連従事者の流入などが影響し、2012年には転入超過を経験しました。ただ、転入超過は2014年まで続いたものの、2015年以降は再び転出超過へと転じています。

 

市町村別に見ていきましょう。

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上の図は、宮城県の市区町村(仙台市は区ごと)における震災直前の2011年3月1日推計人口から最新の2018年2月1日推計人口までの人口増加率を、増加率に並べたものです。増加率の1位は大和町、2位は富谷市となりました。大和町、富谷市はいずれも仙台市の北に隣接する自治体で、特に富谷市は2012年に人口が5万人を超えたことを受け2016年に市制施行を果たしました。一方で、減少率の1位は女川町、2位は南三陸町。いずれも震災当時、被害の深刻さが盛んに報じられた北部沿岸の自治体です。女川原発を抱える女川町はこの7年間の減少率が4割近くに達するなど、厳しい状況が続いています。

 

地図に落とし込むと次の通りです。

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やはり津波被害の大きかった沿岸部での減少率の高さが目立つ一方、仙台市(黒枠で囲みました)やその周辺では人口が増えている自治体も目立ちます。個人的に注目だったのは大崎市登米市といった、内陸にあり高齢化や人口流出といった要因により減少圧力の高くなりそうな自治体の減少率が思ったより低く抑えられている点(大崎市は-2.6%、登米市は-4.5%)。国勢調査によれば、いずれも2010年には転出超過だったのが2015年には転入超過へと転じています。沿岸自治体に隣接する内陸自治体では、仙台ほどの規模ではないにしろ沿岸自治体から一定の人口流出が発生したことが要因となり、震災以降の人口減少率が低く抑えられたという事情があります。

 

大きな流れとして、震災により、宮城では仙台圏以外→仙台圏の人口の動きが加速し、さらに沿岸→内陸への人口移動も一定程度みられたことが分かりました。次回は原発事故により極めて大規模な転出超過が発生した福島県の状況について見ていきたいと思います。

 

 

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